スペインの名ピアニスト、ホセ・フランシスコ・アロンソについて

Jose Francisco Alonso (1941~1995)

スペイン・サンタンデール出身。15才で王立マドリード音楽院を卒業後、パリ、ローマ、ミュンヘンにてカルロ・ゼッキ、ウィルヘルム・ケンプ、レンゾ・シルヴェストリに師事。

ケンプから「類い稀な才能の持ち主」と称賛され、スペインをはじめ欧米各地で幅広い演奏活動を行う。

1984年ウィーンにてベートーヴェンのピアノソナタ全32曲を演奏して成功をおさめ、87年にはバルセロナとマドリードでもモーツァルトのピアノソナタ全曲を演奏。

チャイコフスキー国際コンクールをはじめミュンヘン、サンタンデール、リスボン、東京、アテネの国際コンクールの 審査員をつとめた。

中村 紘子 「チャイコフスキー・コンクール」(中央公論社)


アロンソ先生との思い出

先生との出会いは1984年の夏、ウィーンでの先生の公開講座である。 その年の5月にウィーン国立音楽大学を卒業した私は日本への帰国準備にかかっていたが、 たまたま私の住まい近くの会場で“ベートーヴェンのピアノソナタについての講座”があることを知り、 スペイン人の演奏するベートーヴェンに興味を引かれ参加した。 そしてアロンソ先生の演奏にすっかり魅せられてしまい、急遽帰国を取りやめ、 さらに2年間アロンソ先生の許でレッスンを受けた。

1986年10月に私は帰国したが、その後もスペインでの先生の講習会に参加したり、 私がスペインで演奏する機会を先生が度々作ってくださったりして、先生との交流を深めてきた。 又、先生も日立へ五回いらしてくださった。

私の手元に1本の60分のカセットテープがある。 これは私がバルセロナでの先生の講座に参加した際、スペイン語の理解出来ない私の為に、 先生が講座の内容を事前にドイツ語で吹き込んでくださった物だ。 旅の途中、飛行機の中やホテルの部屋で吹き込まれていて、 機内アナウンスに中断されたりホテルの部屋のドアをノックする音が入っていたりして臨場感にあふれている。

先生は母国語ではないドイツ語でお話になっているので、私にだけ聴くことを許してくれたのだが、 文章化する事はお許しいただけると思う。 幾つか聞き取りにくい言葉があったが、何度も受けた先生のレッスン内容から先生の意図する事を推し量った。

アロンソ先生の画像(神峰公園にて)

先生はつつじの美しい季節に2度日立を訪れ、街中を鮮やかに彩るつつじの華やかさがとてもお気に入りでした。

神峰公園展望台からの眺めが、ウィーンの北部カーレンベルグからの眺めによく似ていると仰っていた。(手前は筆者)

*以下はテープの内容を日本語に訳したものである

スペインの音楽誌からインタビューを受けて

Q:ベートーヴェンの32のピアノソナタは一般的には3つの時代に区分されて語られますが、それについて貴方はどう考えますか?

A:ベートーヴェンのソナタを年代的に区分する事は大変難しいです。 大まかには幾つかのグループに分ける事は可能だと思いますが、 その場合1つのグループは異なる年代からの作品で構成される事になると思います。

Op.90からop.111の作品群は構造的にも内容的にも大変複雑で、各作品の相違が著しいです。 例えば、同じ年代でありながらop.106とop.109は全く趣が異なりますし、 一般には初期の作品と見做されるop.10/3、第2楽章「Largo e mesto」の驚くべき音楽の深みは 何処に分類されるべきでしょうか。

型どおり3つの年代に分ける事はあまり意味のない事だと思います。

以上の部分のアロンソ先生の音声が聴けます

Q:ベ-トーヴェンがピアノソナタを作曲するに当たり、用いた形式は彼以前の作曲か達から受け継いだものでしょうか、それとも彼独自のものでしょうか?

A:古典形式に従った作品群の中にはハイドン、モーツァルトそして特にクレメンティからの影響が見られます。

そして例えば「ヴァルトシュタイン」では古典形式を回顧する事によって、ピアノという楽器における華麗な演奏技巧の表現が重要な役割を果たしています。

もちろん技巧の誇示のみではなく、そこに音楽が表現されていなくてはなりませんが…。

Q:貴方はベートーヴェンのソナタがロマン派のピアノ作品にどのような影響を与えていると考えますか?

A:とても難しい質問ですが、op.78の2楽章、op.101の1楽章、op.109等はまるでシューマンの音楽の様ですし、幾つかのソナタの中ではブラームスやリストを思わせる部分があります。

しかし全体的に見れば、ベートーヴェンのソナタ形式は過去と未来の両方向へ飛躍しながら発展していると思います。

純粋な古典的スタイルから、一方では現代音楽に連なる極端な飛躍をしています。 Op.106「ハンマークラヴィア」のフーガへの導入部分Largoでは拍子を表す小節線を放棄しています。 ここでベートーヴェンはすでに20世紀音楽へ連なる観点に立っていると思います。

Q:ピアノソナタというジャンルの中でベートーヴェンの作曲様式は、全作品を通して変わる事はなかったと考えますか?或いは後期ではオーケストラ効果を指向して発展したと考えますか?

A:ピアノという楽器が絶対的に主役である作品、例えばop.2/3, op.7, op.22, op.53がありますが、 一方でピアノという楽器そのものにはあまり重要性が見られない作品もあります。 しかし、それを他の楽器と関連付けるのは注意すべきだと思います。

例えばop.106「ハンマークラヴィア」は、その構造、内容の大きさからオーケストラを意図した作品と見られがちですが、 私はそれは違うと思います。 これはとても壮大な作品ですが、全くピアノの為に書かれた作品です。

もちろんオーケストラ特有の様々な楽器が奏でる色彩効果について考える事は有意義で、 それはどの作品の解釈においても必要な事です。

Q:ベートーヴェンのソナタを演奏する事は、リストやブラームスの作品を演奏するより難しいとよく言われますが、それについてはどうお考えですか?

A:技巧的な難しさは言うまでもない事ですが、それ以上に難しいのは様々な音色を作り出す事だと思います。 多様な種類のスタカートによる打鍵テクニック、クレッシェンドやデミュニエンドをしない急激なフォルテやピアノの演奏。 時には奇抜とさえ思える程の独特のペダル奏法。いずれにせよ単なるピアノ演奏技巧だけでは表現できない作品です。

Q:ベートーヴェンのソナタ全曲を演奏する際に、すべてのソナタに統一性を持たせるような解釈で演奏する事が必要だと考えますか?それともソナタ形式の発展に伴い演奏の仕方も変わって行くべきと考えますか?

A:ベートーヴェンのソナタは1曲1曲が一つの完結した宇宙・世界であり、ベートーヴェンは前にも後にも同じ形式での作曲を試みていません。 この神秘を探る事がソナタを解釈、演奏する際の手がかりであり、また難しさでもあります。 ピアニストは作曲家ベートーヴェンと共にその解釈を1歩1歩発展させることを強いられ、すべてのソナタの解釈に共通する処方箋はありません。

Q:貴方はどのソナタがテクニック的には一番難しいと考えますか? そして心理的に難しいのはどのソナタですか?

A:テクニック的に難しいのは間違いなく「ハンマークラヴィア」です。

心理的に難しいと思うのはop.78以降の2つの楽章から成るソナタです。 見た目の素朴さに反して、構造的にはとても複雑です。例えばop.90のまるでシューベルトのような第2楽章です。 同様にop.101、op.109、op.111では、演奏者には音楽性と人間性との高い次元での融合が求められ、 心理的にとても難しい作品です。

Q:どのソナタが全ソナタ32曲の頂点にあると考えますか、そしてそれは何故ですか?

A:Op.106「ハンマークラヴィア」です。最大のソナタで、音楽史上の最高傑作だと思います。 20分にも及ぶ第3楽章Adagio sosutenutoは、我々に与えられた最高の音楽ではないでしょうか。

また、第4楽章のフーガも難しさの頂点にある作品です。 別の観点からはop.111の第2楽章、この世の重力から解き放たれて漂うような興奮で全ソナタを締めくくる頂点を成しています。

Q:貴方はウィーンで活動するピアニストとして、いわゆるウィーン流派というものがあるとお考えですか?また、ウィーン独特のベートーヴェンの作品に対する解釈があるのでしょうか?

A:ピアノ奏法についてオーストリー風、フランス風、ロシア風などと特定するのは大変難しいですが、一般にウィーン風と称される演奏には自然に流れるような特徴があると思われます。 音楽の組み立て方や表現方法もバランスの取れたもので、極端に強弱や速度の変化を操作して効果を狙ったような演奏ではありません。

Q:ベートーヴェンの作品を演奏するピアニストに求められる資質とはどのようなものですか?

A:思索するピアニストである事です。

ベートーヴェンの意図する事を塾考し、ピアノという楽器を用いて論理的一貫性を持って表現できるピアニストである事が求められます。

講習会で取り上げられたソナタ
(15番、21番、23番、27番、31番)について

第15番 「月光」op.27/2

いわゆる「月光」ソナタと呼ばれるこの曲については、他に類を見ないほど多くの事が書かれ語られている。 そして最も多く演奏される曲の一つである。 とりわけ短いソナタではあるが、何よりも1楽章と3楽章を両サイドに置いた事が、極度の緊張感を生み出している。

第1楽章では、厳格なテンポで刻まれる3連符に乗せて、メロディーと言うよりも一定の音が嘆き悲しむように繰り返される。 Adagio sosutenutoと記された簡潔な3声で書かれた楽譜からは、極度の緊張を強いられた音楽が奏でられる。 「月光」というタイトルはベートーヴェンによる命名ではないが、その名前から人々は安っぽい センチメンタリズムに浸りがちである。 しかし、ドイツ浪漫派文学においては、冷たい月の光が「彷徨」や「自殺願望」といった様々な悲劇的意味合いを持つ事を忘れてはならない。 私はこの観点から第1楽章を一種の葬送曲のように感じる。 演奏するに当たり、右手の親指の音を慎重に控えめに目立たせる事によって、単調に繰り返す教会の鐘の響きが表現される。

続く第2楽章は決して速過ぎないように。極端な両端楽章の間にあって、安らぎを与える構造になっているので、あくまで柔らかな響きで、ブリリアントな音色は避けて穏やかなテンポで演奏するように。

第3楽章はピアノ音楽の歴史において画期的な作品で、これほど強烈な力を以て激しい感情をピアノ音楽で表現する事を試みた作品はそれ以前には無かった。 上昇するアルペジオのパッセージは、演奏者の気持ちに反して、クレッシェンド無しに演奏されなければならない。 そして上り詰めた先にあるスフォルツァートは空に鋭く稲妻が走るような効果を与えなければならない。 技術面では、過激な流れの中でもすべての音がはっきりと立ち上がらなければなりません。 演奏解釈についてはエキセントリックな感情の爆発を表現する事は明白で、後にベートーヴェンはこのソナタにおいて自らの感情の起伏をあまりにむき出しに表現してしまったことを恥じて、 このソナタに否定的な評価をあたえている。

第21番 「ヴァルトシュタイン」op.53

このソナタは、音楽大学での試験やコンクールで最も多く聴く機会のある曲ですが、 私の所見を述べさせていただけば、良い演奏に出くわす事は滅多にありません。 何故なら、このソナタは名人芸を披露する為の曲と勘違いされているからです。

勿論「ヴァルトシュタイン」ソナタは、ベートーヴェンのソナタの中でも取り分けて華やかな技巧が要求される曲です。 当時ベートーヴェンが新しく入手した強い音の出るエラールピアノに触発されて、ピアノという楽器の持つ表現能力の可能性を極限まで引き出そうとした試みは驚くべき事ですが、 その表面的な外観に捕らわれず、内在する音楽を表現しなければなりません。

そして正にこの点が「ヴァルトシュタイン」ソナタについて憶測することの難しさだと思うのですが・・・。 それは「ヴァルトシュタイン」ソナタが、とても明確にすべての人に関わるような客観的な事柄を語ろうとしているからで、 「熱情」や「月光」のように個人的なドラマに仕立てる事が出来ないという点です。 それゆえ一層、この壮大なソナタに内在する精神を十分に理解しようと努めなければなりません。

第1楽章、第1主題の生き生きと脈打つような和音の繰り返しに続く16分音符を、多くの学生達は見せびらかすように速く弾きますが、自然につながるメロディーとして表情豊かに演奏してください。

讃美歌のような第2主題は、第1主題と同じテンポを保ちながら、和音の各声部がそれぞれ異なる音色で響くように。 上声は光り輝くように、そして内声は柔らかく暖かな響きで。 多様な音色を作り出すために、精密な打鍵テクニック(タッチ)を獲得する事は、「ヴァルトシュタイン」ソナタを演奏する上で非常に大切です。 この音色に対する洗練されたセンス無しには、このソナタは単なる巨大な練習曲になってしまい、聴くに堪えません。

内容、長さ、形式のそれぞれが互いにバランスを取っている事が、このソナタの偉大さにおける最も重要な点です。 第2楽章は周知のとおり当初の計画では、後に別箇に出版されたAndante favoriが置かれていましたが、 それではこのソナタが“あまりにも長すぎる”という友人の忠告を受けて、この1頁あまりのIntroduzioneに置き換えられました。 第3楽章への導入部としての役割を果たす第2楽章は「夜曲」であり、弱音ペダルを多く用いて謎めいた雰囲気が醸し出されます。 この超自然的な神秘の闇の奥深くから第3楽章の主題が現れてきます。

第3楽章の繰り返し歌われる主題で、先ず我々の注意を引くのはペダルの処理です。 この主題は長調と短調が交互に現れる伴奏型に乗せて歌われますが、ベートーヴェンはここで長いペダルの使用による長調と短調が溶け合った響きを目論んでいます。. しかし現代の響きの豊かなピアノでベートーヴェンの指示通りにペダルを使用するのは不可能であり、 絶妙なペダルテクニックが要求されます。

この愛らしくチャーミングな主題は、トリラーや間奏句によって途切れる事なく、歓喜が爆発するコーダまで前進を続けます。 ここでは、とても巧みなテンポの切り替えが成されなければなりません。 コーダのprestissimoは正に出来る限り速いテンポで演奏されなければならず、いささかの躊躇もすること無く、喜びを爆発させてください。私はここで、第七交響曲の同様な個所を思い浮かべます。

このコーダで、いわゆる現代の重たいメカニックのピアノでは演奏の困難なオクターブでのグリッサンドのパッセージがありますが、 オクターブを両手で弾くなどの奏法を工夫すると良いでしょう。 しかし、弱音でのグリッサンドの性格を損なわないように。 延々と続くトリラーは、メロディーから乖離して、非現実の世界に漂うように。 そして最後のクライマックスに至るまで集中力を持続できるように、体力と精神力の上手なコントロールが要求されます。

もう一度繰り返して私が申し上げたいのは、このソナタは技術の競い合いの為に演奏されるのではありません。 技術はあくまでも、より良い表現の為の手立てにすぎません。

第23番 「熱情」op.57

ベートーヴェンのソナタの中心に、まさにソナタ芸術の頂点としてそびえる「熱情」ソナタは、後に「ハンマークラヴィア」が完成する迄は、ベートーヴェン自身も最大のソナタと考えていました。 「熱情」」という命名はベートーヴェンによるものではありませんが、その名にふさわしく様々な要素の対立が極端な形で表れています。

第1楽章の冒頭は、ヘ短調の主和音を構成する3つの音を繰り返しただけの単純な主題が2オクターブの開きを以て両手で演奏され、ぼんやりとした印象で始まります。 しかし直ぐにそれが変ト長調で繰り返された時には、違う印象を与えるような工夫が必要です。 例えば、左手をより目立たせるとか、極端なピアニッシモで演奏するとか。

さらに、繰り返し現れるトリラーが第1楽章における最も重要な心理表現の手段であり、その置かれた位置と状況に応じて全く異なって演奏されなければなりません。 例えば、打鍵する際の指の角度を変えてみるとか、ペダルを使用したり或いは無しに、弱音ペダルとの組み合わせも考えて。

また、第1楽章においては一貫して安定した正確なテンポも重要な要素で、第2主題が遅くなってはいけません。 第2主題が第1主題と緊密な関係にあるのは明白ですから、突然違う性格で歌い上げて、第1主題の性格を失わないように。

技巧的に難しい箇所は、すべてを明確に弾こうとせずに音色に統一性を持たせることで解決してください。 「熱情」ソナタ全体を流れる「嘆き」の動機(これは第3楽章で左手に顕著に表れますが)、この動機の持ち味を把握することが、演奏困難な個所の助けとなります。

第2楽章の演奏にあたり、先ずは「主題と3つの変奏」のそれぞれに明確なイメージを描いてみましょう。 例えば、祝典のコラールのようなイメージの「主題」は、まるでブルックナーの作品の管楽器のような響きがありますが、しかし厳かな宗教的な雰囲気は、変奏と共にそれぞれの性格に入れ替わります。

第1変奏で特に難しいのは、左手のシンコペーションのリズムに乗せて、右手は休符を挟んだ主題を円滑に演奏することです。 最も扱いにくいのは、32分音符の動きによる第3変奏ですが、決して速過ぎないように(チェルニー練習曲ではありません)、しかし感情を込め過ぎてもいけません、あくまでも軽やかさを失わずに。 第3楽章への橋渡しとなる2つの減七の和音は落ち着いてゆっくりと。 (順序が入れ替わって)1つ目の和音が2つ目の和音の「木霊(こだま)」であるかのようにイメージしてください。

第3楽章の開始に当たり、テンポをしっかり確立してください。 この楽章を通して、最後まで力と速度に十分余裕を以て見事なprestoを弾き切れるように、 力と速度の分配に気を配ることは非常に重要です。

右手の主題の流れる中を、左手が「嘆き」「語り」「懇願」する思いを激しい情熱を以て表現します。 右手の主題には、自らを常に前へと駆り立てる音楽的な勢いがあり、 奏者による如何なるテンポの操作も許されませんが、奏者各自の解釈において分析し工夫して、 それぞれの呼吸や音色に合ったニュアンスやフレージングを考えてください。 (左手の嘆くような動きを歌わせることが助けになります)

ハンガリーの民族音楽を思わせるコーダ(presto)は、勝ち誇った歓喜のフィナーレではなく、破滅へ向かっての突進です。 ここまでのすべての流れが、制御不可能となり、奈落の底へと落ちてゆきます。 極限の音量とテンポを持って弾き切るためには、このコーダに辿り着くまで、力と集中力を蓄えておかなければなりません。

第27番 op.90

小規模ながら正に晩年のソナタ様式を備えた2楽章からなるこの作品で、ベートーヴェンは初めて母国語ドイツ語(それまでのイタリア語ではなく)による表題を与えています。 “活気をもって、そしてまったく感情と表情をもって”と記されていますが、この通りに表現するのは容易いことではありません。

「重さと軽さ」「力強さと弱さ」という刺激的で魅力ある対比は、ウィーン古典派の作品中でしばしば出会う要素です。 例えば、ベートーヴェンのソナタop.10/1(ハ短調)、モーツァルトの最後のハ短調ソナタ18番などです。

さらにこの第1楽章での際立った特徴として、様々の形で現れるアウフタクトが挙げられます。 「熱狂してゆくリズム」と「内面化して精神的に深まってゆく抒情性」の極端な形での組み合わせが次々と繰り広げられます。

“あまり速過ぎないように、そして非常に歌うように演奏する”第2楽章は、まるでシューベルトの作品のようです。 永遠に繰り返されるかのように何度も現れるメロディーは、一本調子な退屈さに陥る危険性がありますから、ベートーヴェンらしさを保ちつつ想像力を豊かに広げて、楽譜に記されているすべてのヒントを活かし、テーマの微妙な「陰影」と「語り口」の可能性を探ってください。 人間の声を思い浮かべ、その順応性を十分に引き出すように歌わせましょう。 そしていつも多様な色合いの変化を心がける事は重要です。 時には抒情的に、そして哀調を帯びて思案に暮れて。 また、何度も繰り返された後には、 メロディーは余韻の中で暗示されるだけで十分で、はっきりと主張する必要はありません。

この果てしなく反復するメロディーはシューベルトを思わせますが、特にシューベルトのイ長調ソナタ(遺作)の終楽章に似通った趣を感じます。 今この瞬間を確かに感じ、味わい楽しむという心持で演奏してください。

そして、ベートーヴェンやシューベルトの歌曲の中からインスピレーションを得ることも良い方法だと思います。

第31番 op.110

このソナタは、西洋音楽史において、とても重要な意味を持つ興味深い作品です。 何故なら、私達はこの1曲の中で、西洋音楽の異なる時代からの幾つかの様式を見つける事が出来るからです。 第1楽章の古典形式。 第3楽章では、バッハの受難曲を思わせる「嘆きの歌」のバロック風な表現と、フーガの終結部の壮大なロマン派の響き。

第1楽章は、淡麗な古典派音楽のようで、モーツァルトやウィーン古典派の歌曲のような世界が繰り広げられます。 出来る限り飾らずに、さりげなくあるべきで、テンポの操作による態(わざ)とらしさはとても危険で、この曲の性格に相応しくありません。 冒頭のテーマ、フェルマータを持った32分音符の速いパッセージは、自然な流れの中で一息に。 左手の伴奏音型は、極めて弱音で、パステルトーンの心温かな色合いで弾いてください。 展開部で何度も繰り返される第1主題の動機は、毎回異なる印象を与えるように、表情豊かに組み立てましょう。 左手のフレーズは、まるで誰かが話しかけるように、そしていつも違う語り口で。

第2楽章は、第1楽章との対比において、世俗的な面が強調されています。 民衆が、流行歌に合わせて踊っている様をイメージしてみてください。 アクセントをしっかりつけて、速すぎないテンポで。 中間部(トリオ部分)が慌ただしい印象を与えないようなテンポ設定をしてください。

第3楽章では、格調高い「嘆きの歌」の前に叙唱がありますが、 冒頭部分ではあまり強く感情を表現せずに、そして「嘆きの歌」の部分では正に歌い手になったつもりで悲しみを歌い、 左手は右手の歌う呼吸に合わせて、柔軟にリズムを刻んでください。

1回目の「嘆きの歌」は、悲嘆に打ちひしがれながらも、まだ歌う力を持っていますが、 後に再び現れた時には、ベートーヴェンは“力を失って、嘆くように”と表現を付け加えています。 ここで奏者は、嘆き悲しむ者が次第に力尽きて行く様を表現しなければなりません。

そして、悲しみの為についに力尽きて倒れたと見えた時、遠くから微かな光が差してくるようにフーガが始まります。 やがて光は満ちて“次第に蘇生へと”力が再びよみがえります。

奏者はこの部分において、音量とテンポの変化による効果を、ベートーヴェンの指示通りに、段階的に組み立てて行かなければなりません。 輝かしい光に溢れた、壮大な響きの真只中での終止に向けて、早くから力を出し切ってしまわない様、力の配分を計算してください。

- 完 -